2010/12/18

台北、五股五福村、2010年11月13日、雨の中の結婚式 ③

雨は一層降りしきり、70年前の古式にのっとった結婚式の行列はそれでも五福村を進んでいく。メイン通りではたくさんの傘が行列を見送り、馬上のバラアを讃え、神輿の中の美佳さんを楽しみにしている様子。
 神輿の先導をしているチャッパの僕と担ぎ桶胴太鼓の七瀬はずぶ濡れだったが、神輿を担いでいる若者の苦渋の表情を見ると、なんとか励ましてやりたい思いが先になり、晴れやかな表情で囃し続けた。
 チャッパを持つ手がかじかみ、幾度かチャッパを路上に落とす。金子竜太郎さんのオリジナルモデルを先行予約で購入した大切な楽器であったので、ヒヤリとしながら持ち直し再び打ち合わせる。このチャッパはとても具合がいい。今まで購入した普及品のチャッパの2倍は響きの波長が長い。金子さんも、自分のモデルが、台湾という海外で古式にのっとった花嫁行列の先導をつ務めているとは知るまい。その響きが、五福村にしみているなんて・・・。見ると七瀬もややつらそうだったので「おい、交代するか?」と声をかけると「いえ、阿齢(アリン)が、先生が(僕のこと)チャッパで、私が桶胴と指示したので頑張ります。」と笑顔で答えた。

 僕らの前は、バラアの乗っている馬・・・。油断して近づきすぎれば「地獄のそうべい」のように蹴り飛ばされる危険もある。ところが・・・蹴り飛ばされることよりも、街中で、それは立派な糞を目の前で出されることの方があぶなかった。


 2004年8月、飯田市の人形劇フェス関係で、宝塚歌劇団OG(榛名由梨さん、但馬久美さん代表)16人が、台北の國父紀念館で開催した「夢の軌跡」というコンサートの第一部と第二部の幕間に大太鼓一人打ち「命導」を演奏したのが、僕の台湾との関わり始め。
あれから6年が過ぎる中、台北慶和館との出会いをきっかけに、台湾の風土や民俗の中へ深く関われる機会に恵まれながら今日まで来た。
 それを単なる観光の一つではなく、僕が地方歌舞団で、舞台芸能の研鑚を続けていたと同様に、この台北でも自分たちの芸能に磨きをかけ続けていた人々との出会いとして受け止められたことに感謝している。彼らが、僕や御花泉を大切にしている思いは並々ならぬものだ。
 
 雨降りしきる中、チャッパを打ち合わせながら、6年間の様々な出来事が頭の中を廻っていた。
台湾人と日本人の台湾古式結婚式の先導役として、日本のチャッパを打ち鳴らす自分。
 めぐってきている小さな運命が嬉しい。
日本のマスメディアには一切関係ない小さな活動だが、培われる人と人の絆は、僕の大きな宝だ。
派手な1回きりのパフォーマンスではなく、こつこつと地道に重ね、息長く、人様や地域のために続ける活動こそを見失ってはならない。
 人の目から見た自分の活動という視点ではなく、あくまで自分の視点から見た人生の深さ、面白さを追及しなければ、僕の太鼓の響きはなまくらになるだろう。
 この僕に宇宙がくれた唯一のものは、自分というものを120パーセント込めて打ち出せる太鼓の響き、裸の魂の舞台表現と肝に銘じて、決して失わないよう見据えていかなければならない。
 年を重ねるほど、横を広げることよりも縦を掘ることに精力を尽くしたいと思う。


花嫁行列は、およそ90分ほどの時間で終着点に着いた。
ホッとしている間もなく、慶和館メンバーは、すぐに台北市中の青年音楽中心へ演奏に出かける。僕も濡れた衣装のまま、移動する車へ飛び込んだ。
 芸能で本気で食べていくことを腹に決めている人間にとって、しのごの言っている世界ではないのだ。経験を積めば、いくらでも手を抜くことは可能なのかもしれない。それらしく見せ、手ごろなところで妥協し、反則ギリギリのパフォーマンスを入れて、観客の注意をひく・・・。
 でも、僕は知っている。演奏者が、どんなにうまくやりおおせたと思っていても、観客の中には、必ずその演奏の質を見抜いている人がいて、心の中で「NO」を示していることを。
その「NO」は、見えない力で広がっていき、やがて、観客は騙されなくなるのだ。
もっとも、そうした器用さを発揮できる演奏者を羨ましくも思えるが・・・僕にはできない芸当だから・・・


来年、台湾は建国100年を迎えるそうだ。台湾という地域が国として認められていないという事実は置いておきながら、2011年の11月10日から16日まで、台北の萬華区にある青山宮というお寺(台北慶和館がお祭りと芸能をつかさどっているお寺である)の祭りに参加する予定だ。
このときにも、研鑚を重ねた芸で臨みたい。
僕も、また、御花泉も、研鑚という言葉を忘れては、舞台に立てないという出発点を忘れてはならない。

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