2010/12/24

故郷

千葉県市川市。それが僕の生まれ育った土地。今は父が一人、団地で暮らしている故郷。3歳までは東京の葛飾区高砂のアパートに育った僕は、体が病弱だったゆえに、担当の小児科医から勧められて両親が市川に引っ越した。理由あって母は長野県の病院にいる。来年の春には伊那谷の特別養護老人ホームに入所を希望、部屋が空くまで老人介護保険施設を3ヶ月ごと転々とする。
要介護5で半身不随の母を、車椅子でもいい、温泉に連れて行ってやることが今のところの小さな夢だ。
千葉には18年間居た。その後、約3年間は横浜、1年東京渋谷区。西新宿の高層ビル街が出来始めていた時だ。来年で長野県に移り住んでから26年目になる。1984年5月1日、新宿のメーデーの行列の人波を押し分けて乗り込んだ高速バス。
いつの時も未来は混沌としていた。また、帰るべき故郷は希薄だった。
長野県では祭りや芸能を通して人を学んだ。なんとか和太鼓奏者として生きていられるのも、長野県への旅立ちがあったからだと思う。
父は酒が好きで、僕が様子を見に市川へ行くと、必ず回転寿司へ行き、3合ほど冷酒を飲み、ご機嫌となる。話しを黙って頷きながら聞く。父は東京、本所の生まれ。話の端々にこぼれる昭和の人情と戦争の傷痕。そして、今の時代に対する愚痴と悔恨だ。
時代は東京タワーからスカイツリーへ。
親父、時代はどんなに変わっても、あなたがこの僕を一生懸命育ててくれた事実は変わることはない。嘆かず、黙って空を見上げて、今の幸せをかみしめようよ。かみしめるだけ、故郷の空の色が心に色濃く染まるから。
あなたのおかげで僕の太鼓の音は響くのだから。僕の命続く限り、あなたの魂は僕の響きに染みているのだから。やがて、僕もあなたと同じ様な一人暮らしの寂しさをさらに思い知るに違いない。でも、その時にはせめて、伝え続けてきた太鼓の旅の思い出に抱かれていたい。

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