2010/12/28

急いては事を仕損じる。

年末。今年は大きな祭りやイベントに、仕事を押しやって参加して来た。その参加態勢に一心に力を発揮してくれた多くの人たちに心から感謝だ。
諏訪の御柱奉納太鼓、飯田のお練りまつり、それに準じた吉祥開運熊手踊り、宝舞の創出。
どれも、裏方で力を発揮してくれた人たちがいてこそできたこと。
ところが・・・
 僕の心はいつもどこかで僕にこう言っていた。
「もっとできる、もっと創作とアイデアが必要だ。」
創作とアイデアには、それを生み出す意志と、環境と、それを大切にする人の心が必要だ。
その環境づくりと人の心の組み立ては、今年、大きく停滞した。それどころではなかったと言おうか。
急いては、事を仕損じる。しかし、人生のコツは、機敏であること。
来年のマイテーマは、機敏とストイックと、バリ根(ばりこん:バリバリ取り組む根性)と、新世界への挑戦だ。
 新しい施設に移る母と、千葉に一人暮らす父と、心のベトナムを戦いぬいている弟。
名古屋で生き抜いている娘と、それぞれの体調を守りつつ前向きに生きている息子とその母さん。
人はバラバラというけれど、そこに感じているささやかな絆は、当事者にしか実感できないだろう。
すべてが、僕の力になっている。
急いては事を仕損じる。何をやりたいのか、どうすればできるのか、その事を心から楽しんで生きる以外に道はない。

 

2010/12/24

傷つくことも絶望も好機に変えてこそ人生。

己の不孝も不運も、やがて来る春を待つ冬に同じ。歩くことをやめてはならない。愛することを絶やしてはならない。すべての出来事は宇宙の意志、神々のシナリオ。まっすぐに、そしてその時その時を楽しみ、ありがとうと念じながら生きていくことをただひたすらに…。
今日あたりから雪。雪の夜だからこそ、窓辺の明かりが愛おしい。

故郷

千葉県市川市。それが僕の生まれ育った土地。今は父が一人、団地で暮らしている故郷。3歳までは東京の葛飾区高砂のアパートに育った僕は、体が病弱だったゆえに、担当の小児科医から勧められて両親が市川に引っ越した。理由あって母は長野県の病院にいる。来年の春には伊那谷の特別養護老人ホームに入所を希望、部屋が空くまで老人介護保険施設を3ヶ月ごと転々とする。
要介護5で半身不随の母を、車椅子でもいい、温泉に連れて行ってやることが今のところの小さな夢だ。
千葉には18年間居た。その後、約3年間は横浜、1年東京渋谷区。西新宿の高層ビル街が出来始めていた時だ。来年で長野県に移り住んでから26年目になる。1984年5月1日、新宿のメーデーの行列の人波を押し分けて乗り込んだ高速バス。
いつの時も未来は混沌としていた。また、帰るべき故郷は希薄だった。
長野県では祭りや芸能を通して人を学んだ。なんとか和太鼓奏者として生きていられるのも、長野県への旅立ちがあったからだと思う。
父は酒が好きで、僕が様子を見に市川へ行くと、必ず回転寿司へ行き、3合ほど冷酒を飲み、ご機嫌となる。話しを黙って頷きながら聞く。父は東京、本所の生まれ。話の端々にこぼれる昭和の人情と戦争の傷痕。そして、今の時代に対する愚痴と悔恨だ。
時代は東京タワーからスカイツリーへ。
親父、時代はどんなに変わっても、あなたがこの僕を一生懸命育ててくれた事実は変わることはない。嘆かず、黙って空を見上げて、今の幸せをかみしめようよ。かみしめるだけ、故郷の空の色が心に色濃く染まるから。
あなたのおかげで僕の太鼓の音は響くのだから。僕の命続く限り、あなたの魂は僕の響きに染みているのだから。やがて、僕もあなたと同じ様な一人暮らしの寂しさをさらに思い知るに違いない。でも、その時にはせめて、伝え続けてきた太鼓の旅の思い出に抱かれていたい。

2010/12/18

台北、五股五福村、2010年11月13日、雨の中の結婚式 ③

雨は一層降りしきり、70年前の古式にのっとった結婚式の行列はそれでも五福村を進んでいく。メイン通りではたくさんの傘が行列を見送り、馬上のバラアを讃え、神輿の中の美佳さんを楽しみにしている様子。
 神輿の先導をしているチャッパの僕と担ぎ桶胴太鼓の七瀬はずぶ濡れだったが、神輿を担いでいる若者の苦渋の表情を見ると、なんとか励ましてやりたい思いが先になり、晴れやかな表情で囃し続けた。
 チャッパを持つ手がかじかみ、幾度かチャッパを路上に落とす。金子竜太郎さんのオリジナルモデルを先行予約で購入した大切な楽器であったので、ヒヤリとしながら持ち直し再び打ち合わせる。このチャッパはとても具合がいい。今まで購入した普及品のチャッパの2倍は響きの波長が長い。金子さんも、自分のモデルが、台湾という海外で古式にのっとった花嫁行列の先導をつ務めているとは知るまい。その響きが、五福村にしみているなんて・・・。見ると七瀬もややつらそうだったので「おい、交代するか?」と声をかけると「いえ、阿齢(アリン)が、先生が(僕のこと)チャッパで、私が桶胴と指示したので頑張ります。」と笑顔で答えた。

 僕らの前は、バラアの乗っている馬・・・。油断して近づきすぎれば「地獄のそうべい」のように蹴り飛ばされる危険もある。ところが・・・蹴り飛ばされることよりも、街中で、それは立派な糞を目の前で出されることの方があぶなかった。


 2004年8月、飯田市の人形劇フェス関係で、宝塚歌劇団OG(榛名由梨さん、但馬久美さん代表)16人が、台北の國父紀念館で開催した「夢の軌跡」というコンサートの第一部と第二部の幕間に大太鼓一人打ち「命導」を演奏したのが、僕の台湾との関わり始め。
あれから6年が過ぎる中、台北慶和館との出会いをきっかけに、台湾の風土や民俗の中へ深く関われる機会に恵まれながら今日まで来た。
 それを単なる観光の一つではなく、僕が地方歌舞団で、舞台芸能の研鑚を続けていたと同様に、この台北でも自分たちの芸能に磨きをかけ続けていた人々との出会いとして受け止められたことに感謝している。彼らが、僕や御花泉を大切にしている思いは並々ならぬものだ。
 
 雨降りしきる中、チャッパを打ち合わせながら、6年間の様々な出来事が頭の中を廻っていた。
台湾人と日本人の台湾古式結婚式の先導役として、日本のチャッパを打ち鳴らす自分。
 めぐってきている小さな運命が嬉しい。
日本のマスメディアには一切関係ない小さな活動だが、培われる人と人の絆は、僕の大きな宝だ。
派手な1回きりのパフォーマンスではなく、こつこつと地道に重ね、息長く、人様や地域のために続ける活動こそを見失ってはならない。
 人の目から見た自分の活動という視点ではなく、あくまで自分の視点から見た人生の深さ、面白さを追及しなければ、僕の太鼓の響きはなまくらになるだろう。
 この僕に宇宙がくれた唯一のものは、自分というものを120パーセント込めて打ち出せる太鼓の響き、裸の魂の舞台表現と肝に銘じて、決して失わないよう見据えていかなければならない。
 年を重ねるほど、横を広げることよりも縦を掘ることに精力を尽くしたいと思う。


花嫁行列は、およそ90分ほどの時間で終着点に着いた。
ホッとしている間もなく、慶和館メンバーは、すぐに台北市中の青年音楽中心へ演奏に出かける。僕も濡れた衣装のまま、移動する車へ飛び込んだ。
 芸能で本気で食べていくことを腹に決めている人間にとって、しのごの言っている世界ではないのだ。経験を積めば、いくらでも手を抜くことは可能なのかもしれない。それらしく見せ、手ごろなところで妥協し、反則ギリギリのパフォーマンスを入れて、観客の注意をひく・・・。
 でも、僕は知っている。演奏者が、どんなにうまくやりおおせたと思っていても、観客の中には、必ずその演奏の質を見抜いている人がいて、心の中で「NO」を示していることを。
その「NO」は、見えない力で広がっていき、やがて、観客は騙されなくなるのだ。
もっとも、そうした器用さを発揮できる演奏者を羨ましくも思えるが・・・僕にはできない芸当だから・・・


来年、台湾は建国100年を迎えるそうだ。台湾という地域が国として認められていないという事実は置いておきながら、2011年の11月10日から16日まで、台北の萬華区にある青山宮というお寺(台北慶和館がお祭りと芸能をつかさどっているお寺である)の祭りに参加する予定だ。
このときにも、研鑚を重ねた芸で臨みたい。
僕も、また、御花泉も、研鑚という言葉を忘れては、舞台に立てないという出発点を忘れてはならない。

2010/11/16

台北、五股五福村、2010年11月13日、雨の中の結婚式

七瀬と僕は、美佳さんの控えるホテルへ車で送られ、バラアの一行を待つことに。
ホテルには、見事に和服に身を包んだ美佳さんの姿があった。台湾人の女性の着付け師がいて、笑顔のなか、手際良く仕上げが進められている。
家族で記念撮影などあり、とても幸せそうな美佳さんと家族の姿があった。家族の幸せは、周りの人々にも幸せを共鳴させる力がある。ふと、今の自分が、家族を幸せにするために何ができるのかを顧みた時だった。僕は知らず知らずのうちに部屋を出て、玄関先に立ち、バラア一行を待った。

やがて、遠くから爆竹の音と行列のラッパの音、そして台北慶和館の獅子舞太鼓の音が近づいて来た。雨の中、慶和館のアーフォエ、シャオテン、アリンの次男センユー、アツォンの次女ベイビーが果敢に獅子舞を舞いながら一行を先導している。その太鼓を休みなく打ち鳴らし続けているのは、アリンの長男センクワン、アツォンの長男センヤン、アツォンの長女ツーツェン。皆、雨に濡れながらも晴れやかな気概を失わずに演じ続けている。ここにももう一つの家族の姿があり、雨降りという悪条件の中、慶和館としての役目を力を合わせて、メンバーバラアのために精一杯打ち出してる姿に、僕は胸をつかれた。

一行の中ほどに馬に乗ったバラアの姿がある。元々イケ面な彼だが、この日は引き締まった面持ちがなお一層高貴な雰囲気を醸し出していた。一行がホテルの玄関先に着くと、バラアは馬からおり、玄関先で待ち受けていた美佳さんの弟、康秀君の差し出すお盆の上にあるりんごを取る。そして美佳さんの部屋べと向かう。



僕と七瀬は、外でご両人を待つことにした。
村中の若者が集まって、力を貸しているように見える。15分程して二人が姿を現した。雨は再び勢いを増してくる。御輿に美佳さんが乗り込む。僕と七瀬は、雨の中に立ち、御輿を先導すべく構えた。

2010/11/14

台北県五股五福村、雨の古式結婚式参加

11月13日土曜日。朝から雨。台北萬華区の台北慶和館副団長・王慶鐘(阿鐘:アツォン)の自宅の窓外に屋根からしずくが落ちる。今回、慶和館は僕のために、アツォンの自宅の一室を用意してくれた。ほとんどベッドで一杯になる小部屋には、机とネットケーブルが準備されていて、僕に対する心遣いが嬉しい。
今日は飯田市出身の酒井美佳さんと台湾在住の慶和館メンバーの張景皇君との台湾での結婚式だ。
張君=バラアの親父さんは五福村の村長で、今、まさに村長選の真っ最中。70年前の古式に則った由緒ある結婚式は、バラアが馬に乗って、美佳さんを迎えに行き、迎えられた美佳さんは御輿に乗ってバラアの家へ嫁ぐというもの。街中を50人を越える行列で花嫁道中だ。
今回は、日本人が台湾の古式結婚式で結婚するという珍しいケースということもあり街中の話題らしい。
僕と御花泉の七瀬は、日本人として美佳さんの御輿を桶胴太鼓とチャッパで先導する役。
かなりの長い道のりであろう中、朝からの雨は思いやられた。朝、8時に慶和館を出発、五股五福村の公民館へ。到着するとすでにたくさんの人たちが集まっていて、花嫁道中の準備が始まっていた。
(つづく)

2010/11/13

11月13日土、台北・・・雨です。

張君の結婚式。午前中は雨の中での太鼓演奏かな・・・
衣装を1丁しか持ってきていないからちょっと心配。

夜の会場は1,000人規模。

2010年11月、再び台北慶和館とともに・・・。

 10月30日、31日の第13回全国獅子舞フェスティバルin飯田に台北慶和館が参加。命がけの空中に舞う獅子と愛嬌のある北京獅子、おはこの広東獅子で絶大な人気を誇って10月28日来国、11月5日に帰国。良&御花泉もフェスティバルにはしっかり演奏で参加させていただいていたので、慶和館サポートは怒涛の日々。御花泉メンバーが力を合わせてのサポートの取り組みは、目を見張るものがありました。
 彼らが帰国後、その合間もつかの間、5日から御花泉の七瀬が、12日から僕が台北の地で催される、慶和館メンバーと飯田の女性との結婚式に参加すべく、台湾へやってきています。

 セントレアから国際桃園空港へ到着。明日の花婿である張君自身が迎えに来てくれました。いつもは、台北慶和館の芸術総監・王 慶齢(ウォン チンリン=アリン)が迎えに来てくれるので、張君に「慶和館は演奏かい?」と聞くとそうだと答えました。
 空港から台北中心市街まで60分ほどかかったでしょうか、とある、大変トラディッショナルなホテルで慶和館の副団長王 慶鐘(ウォン チンツォン=アツォン)とアリンが、僕らの車を待っていました。
 彼らとは、2005年に台北で出会って以来の付き合いで、もう、台湾訪問は10回を超えています。
その間、数々の忘れられない思い出の演奏を共にして来ました。
 およそ決まってそうなのですが、スケジュールというものがいつも見えません。
僕が乗っている車にアリンが乗り込むと、アリンの指示を受けて車は、地下の搬入口へ。
アリン「良さん、龍の太鼓大丈夫?」
龍の太鼓とは彼らの曲の「龍」の大太鼓一人打ちのことです。それを僕に打ってもらいたいらしい・・・
良「大丈夫だと思うけれど、明日演奏するのかい?」
アリン「フフフ、今日、今これからね」
良「ええっ~?」
なんて、いつものことなのです。
それも、30分後に演奏~おぉ~!
台北中のお医者様が集合している式典で、馬 英九首相も先ほど来たんだとか。
楽屋に着くと、台北慶和館のメンバーでごった返していました。今はすっかりメンバーに溶け込んでいる慶和館の衣装に身を固めた七瀬に合流。「おつかれさまです!」
慶和館のメンバーの半分は、王一族の子どもたち。今日は、いちばん小さいセンホン(3歳)も獅子舞で出演らしく・・・。団長をはじめとして、みんな、変わらぬ笑顔で迎えてくれました。
手際良く着替えると、すぐに舞台裏へ。リズムを思い出すのがやっとという状況。
アナウンスでは、日本一の日本人太鼓打ち、塩原 良さんが来てくれました的なことがとても乗りのいい調子で紹介されています。300人ほど集まっているパーティー席のステージに促されて、まず、僕の笑顔で観客にあいさつ・・・すごい反応です。
すぐに、「龍」が始まりました。
僕が演奏するきっかけもわからないままに、メンバーの目線の合図を受けて、大太鼓下拍子から大太鼓メインへ。
 最後は決まったフレーズを合わせて打ち止め。一間あって、すごい拍手です。
舞台上で、その会の代表者から、なぜか僕が出演料を受け取る役に。
良「ダージャーハオ!シェーシェー!」
・・・飛行機に乗っているときは思いもよらぬ台北初日でした。

2010/10/17

塩原 廉くんの信号の絵が辰野美術館に。

山下清展と同時開催していた、創造の王国 解き放たれた表現展で、廉くんの信号の絵が県内の養護学校から選抜されて明日まで辰野美術館に展示されてます。僕は昨日観に行きましたが、信号 塩原 廉と書かれた白いタグを見たとたん、涙がこぼれそうになりました。
きっとたくさん飾ってあるにちがいないと思って行ってみると、案外に展示数は少なく、そこに廉の絵が作品と扱われて展示されていました。いつも見慣れている廉くんの信号の絵。作品として展示されていることがとても嬉しかったのです。
廉くんにとっても素敵な出来事だなとつい、涙ぐんでしまいました。
今度、息子と一緒に絵を書いて見たくなりました。

2010/09/22

アースディ南信州2010ファイナルシーン担ぎ桶胴太鼓と大太鼓演奏

環境をいかに守りつつふるさとで暮らすか、「愛せよ故郷」をキャッチフレーズにしたアースディ南信州2010。今年も参加しました。
フィナーレの大太鼓と桶胴太鼓のアンサンブルがんばりました!写真は小豆島から参加したシンガーソングライター勝詩さんのステージ。

2010/09/19

TAO岐阜公演を観た。

和太鼓エンターテイメントの名にふさわしいステージだった。観客も満足していたよう。
彼らのオリジナリティは旋律と巧みな間に合わせた声、アジアの芸能を思わせる絶妙な停止だろう。
後は流行を逃さず取り入れる感、おもしろいと思えるものを積極的に取り入れるチームの色だろうか?
伝統をまもるという主義は、貧欲にエンターテイメントを追求する姿からも今後は生まれるかもしれないことを予感させられた。
しいて言えば、芸能としての深さの追求はこれからかもしれない。
楽しいだけでなく本物のエンターテイメントを追求してくれそうなグループ誕生に拍手。

2010/09/18

9月22日〜24日、塩原和太鼓コンクワークショップ博多開催!

11年ぶりの福岡博多。11年ぶりのいくつもの再会。ステージもワークショップも当日はパーツであって、そこに至るまでの時間から始まっている。今回は、13年前に僕と田楽座の旅立ち公演を実行してくれた人たちが再び尽力をつくして成り立った。また初めて出会う人たちもたくさんいる。吟遊打人は本当にツいている男だ。ツキは出会いの連続から生まれるらしい。奇跡の3日間はこのブログから博多のNさんが奮起してくれ呼びかけてくれたところから始まった。
僕としては博多再び…というよりは新たなる博多というイメージだ。
魂を込めて打ち込みたい。あっと言う間の3日間に違いないけどコンクな時間を刻みたい。博多のみなさん、本当にありがとう〜。

予感

おまえは甘い、もっと現実を知れ、軽はずみな行動をつつしめ…色々言われながらもいつも予感は成功一色。
人並みはずれた体力が重ねる年齢の中にもかろうじて残っているのは成功の予感があるからだ。
遠回りでも足踏みでも不真面目でもかまわない。いつも予感は成功のみ。
成功したいのではない、その時には成功しているのだ。
母の回復力は体力だけでなく気力も大きいとか…医師だけの判断で母の行く末が決まるわけでないことを忘れるな。

2010/08/14

昼神温泉 石苔亭 いしだ 紫辰殿の宴

昼神温泉夏祭りは土砂降りで中止。10日〜16日まで毎晩19時30分から30分間の演奏だが今日までで3回の中止となった。太鼓打ちを殺すのに刃物はいらない…今日は定期的に演奏している能舞台ソロ公演「紫辰殿の宴」でもあったので、鏡の間に控える。
午後に朗報があった。元御花泉で今は太鼓のフリーとなった久高徹也君ことハブ君が、昨日の岡谷太鼓まつり大太鼓コンテストで、見事準優勝を果たしたと。
今日も大太鼓に向かって自分に磨きをかけるハブ君本人がそう僕に挨拶してくれた。
彼は必ずいつの日か東京国際で最優秀賞を獲得する品格を、己の生き方から身につけるに違いない。
太鼓は習うものではなくこしらえるものであることにやはり変わりはないから。

とにかく、寝食を忘れて徹底的にやる者には何事もかなわない。
僕も、初心貫徹のみだ。
控える能舞台。今夜も魂を込める。

2010/08/12

おふくろ転院再び…

あんなに来たがっていた信州にやっと来れる。半身不随になりながら…入院と言う形だけど。
おふくろの人生の結末を、この俺が握っているというのか。
親父の呪縛から解かれるおふくろは果たして淋しいだろうな…

2010/07/30

家族の絆

おふくろが再び歩けるかどうかの可能性はかなり薄いらしい。それでも僕には忘れられないのはおふくろが囁いたことば
。「必ずまたあるけるようになる」
ためされどきだ。

2010/07/29

日野から調布まで渋滞11キロ!

母の転院処置に千葉へ向かってます。やはり朝の首都高の渋滞まっただ中か…
今年は、どうも仕事再編の年。なかなか仕事の成果が上がらない。根っこのしっかりした目標設定が必要だ。闘わなければならない、まず自分と。

2010/06/14

真実であると思えていたことが、偽物であると暴かれてしまった時。

 悲しむ前に、嘆く前に、偽物と真実の両方があって初めて本物であると知るべきだ。

6月25日金曜日名古屋市芸術創造センター19:00開演「鼓撃巡礼」いよいよ間近!

13日日曜日、小雨のぱらつき始めた大須観音境内にて奉納太鼓を演奏してきました。
Art Lee、加藤拓三君も駈けつけてくれ、TOKARAの市瀬ゆかりさん、御花泉の愛蓮和美さんも参加。担ぎ桶胴太鼓の三つ巴「心の祭り」と大太鼓合奏「鼓撃巡礼」。50人くらいの人たちが熱心な拍手を送ってくれました。

 6月は、名古屋に著名な太鼓団体が目白押しで、観客の皆さんもどこに行こうか選択の眼も厳しいとか。
それでも確実にチケットは少しずつ売れています。
今日今、こうしている間にも、チケットを温めて、25日を指折り数えて待っていてくれている人がいる・・・役者冥利につきる幸せではないでしょうか。

 勢いのいい時は誰もが騒いでくれますが、勢いが徐々になくなってきますと、もう以前のように単純に騒いでくれはしません。そんななかでも、自らの意思でチケットを購入してくれている人たち。
義理でもなく、偶然でもなく、心待ちにしてその日を生きる張りに結び付けてくれている人たち。

もう、約8年ほど前でしたか、ある教育長さんが、事故で車いすの生活になられ、僕の太鼓演奏を心待ちにしながら町の文化事業に位置付けて呼んでくれました。
その方が、中学校の校長先生をお勤めしていた時からのお付き合いで、僕の太鼓をとても愛してくれていたようです。
僕は、11月3日文化の日に演奏で呼ばれていたのですが、それ以前にその方の御様態が悪くなり、「塩原さんの太鼓を聴いて俺は元気をもらうんだ」といつもおっしゃってはがんばられていたそうです。しかしながら、残念なことに、僕が10月にアメリカへ旅立つ直前に帰らぬ人となってしまわれました。
僕の思うところの太鼓の演奏は、見せることも大切ですが、やはり、生きぬく力を共感しあえる演奏でありたいのです。なりふり構わず、果敢に挑戦している姿でありたいのです。
そこでできることなら、その姿が目を覆いたくなるような無様な姿でなく、鍛えられ磨き抜かれてえぐりだされた作品でありたいのです。

 僕は演奏中、いつでも必ず心の中で反芻する言葉があります。かの教育長さんが言われたと聞いているあの言葉・・・
「塩原さんの太鼓を聴いて俺は元気をもらうんだ」
自分の打ち出す響きに一縷の命の可能性を託してくれていた人の言葉です。
うかうかしてはいられません。好き嫌いだけで物事を判断してもいられません。
自分のやりたいことがあるのなら、人さまの作った椅子に腰かけて始めるのではなく、路上にひざまずいて自分の本当にやりたいことを確かめるのです。


鼓撃巡礼・・・・立ちはだかる大きな壁を撃破するために、体当たりの作品です。

2010/05/15

2010/04/29

アメリカから無事帰国。やるべきことというよりは、やりたいことが山積み。

魚が一匹増えました。名前はブレンダです。
自分のやりたいことが見えてきた気がします。
ここ、伊那谷に暮らす喜びをかみしめ、ここの人情で得たエネルギーを響きに換え、天命を全うすること。

 開けない道はありません。歩き出さなければ道は開きません。僕としては、生涯歩き続ける生き様でいたい。

 手を汚し、心を捻りながらも、まみれて掴みたい・・・本物の響きを。

今一番したいことは、自分の稽古です。

2010/03/13

ブログの魚が増えました。

やはり、一匹では切ないですよね。
グリーンな友達がやってきました。 仲良くやれよ・・・。
 携帯からでは、この魚たちが見えません。悪しからず。
パソコンからだと、餌がやれます。彼らの近くに左クリックしますと餌が落ち、彼らが勢いよく食べに来ますよ。

ちなみに、赤い魚の名はフォンリー。グリーンの魚の名はモーリーです。よろしく。

飯田お練りまつり、諏訪の御柱祭、加藤拓三君とのアメリカツアーと続きます!

 怒涛の2,3,4月。しかし、どれも200%で臨みたい企画ばかり。
身体のケアを考えながら、前に進むのみ。苛立ちも、怒りも、今は顧みる心地はなく、ただただ、どれも終わった後の笑顔と充実感をイメージしているだけだ。
 準備に当たるどの時間も、朝起きてから眠るまで、ぎゅうぎゅうと脳みそを絞られている感じ。
馬にならず、牛になる。意見は公平に聞き、揺さぶられずに核を悟って決断する。そこによこしまな人情なし。
成功は、いつも夢中になって普遍を納得しようとしたその先にある。

身体と頭が6つほしい。具体的な未来を描き、それを支える人材を現実的に獲得する。
その未来は、世界のためにあるべき未来で、多くの人たちを幸せにする具体的な明日だ。

やるべきことを黙ってやる。池に潜む主を釣り上げるために、来る日も来る日も寡黙に池に通っては新しい仕掛けを試しては帰る釣り人のように。

疲れたら、休む。心の止まり木で素敵な音楽と愛情の詰まったホットミルクでも飲みながら。

飯田市の丘の上に事務所兼太鼓練習場兼喫茶店を構想してます。
地下が和太鼓練習場、1階がギャラリー機能を携えた喫茶店、2階が事務所。
月々5万円くらいの低価格で貸してもらえるコネクションはないでしょうか?

また、資金調達の方法を具体的に探ってみる時だと考えてます。

2010/02/24

ブログを改めて、新しい段階へ出発します。

現在、7年に一度の飯田お練りまつりへの取り組みに全力であたっています。
2010年3月27日(土)28日(日)両日9:30~17:00、飯田市市街地です。
6尺大太鼓を山車に乗せて曳きまわす企画は、お練り始まって以来の新しい試み。
和太鼓道場「命響館」で和太鼓の修練を重ねる9団体が力を合わせて、伊那谷力上昇!!をかかげ、2日間にわたって熱演します。新作芸能「吉祥開運熊手踊り」も好調に練習進行中!
※写真は、飯田お練りまつりにいよいよ準備を始めるときの集合写真です。
★一緒に山車を曳いて見たい方、ぜひ、ご連絡ください。